【義父の話①】2024/01/22

 ここしばらく自転車に乗れない日が続いていた。
 11月の中頃に義父が脳出血で入院したことに起因している。
 確か、土曜日だったと思う。19時になって夕食の支度ができたので義父に声を掛けたのだが返事がない。
 階下に見にゆくと「気持ちが悪い」と言って洗面所で吐瀉している。合わせて寒気がすると云うので、夕食は摂らずに布団に入って寝かせるが、またもや気持ち悪いと言って吐瀉。
 寒気が抜けないというので電気毛布を入れて寝かし少し落ち着いたようだが、「やっぱり病院行こう」という事で救急車。
 妻が付き添って病院へ、CTだかMRIだかを撮ってすぐに手術。頭の右側にかなりの出血が診られるという。
 家で待機して連絡を待つが、なかなか連絡が来ない。手術開始から5時間以上経って、無事に手術が終了したとのことだが、医者が間違って左側を開けてしまい、やり直したという。

【義父の話②】2024/01/22

 後日、面会に行く。
 「頭が痛い」と言って、座ってはいるがテーブルに突っ伏している。
 意識はそれなりにはっきりしているが、どうやら目がよく見えないらしい。大好きなテレビも観ようとしない。
 更に食事がマズイと言って殆ど食事を摂らない。
 ちょう度そのころ友人から聞いた話だが、「兎に角話をすることが大事だ」ということだ。話をしなくなると喉の筋肉を使わなくなり、やがて食事ができなくなると云う。
 義父も話をすることが徐々に減り、それに伴って、遂には食事をしなくなってしまった。
 そうなると、当然点滴で養分を補うことになる。更に悪いことに、そのタイミングでコロナに感染してしまった。

【義父の話③】2024/01/22

 それでも皆、父は復帰して今までのように一緒に生活できると信じて疑わなかった。
 妻は妹と交代で毎日病院に行って父と接するように努めた。
 しかしコロナになると暫くはそれも叶わない。義父はワクチンを一度も摂取していなかったが、コロナから立ち直った。それでも2週間の隔離は少し父を変えてしまったのかもしれない。
 どうも、言うことが少しおかしい。孫(私の息子)は法律家だと思っていたり、妻のことを看護婦と思っていたりする。
 そうかと思えば、極めて正確に状況を説明する。
 この頃になると完全に点滴だけで生きながらえてる状態だった。
 そんなタイミングで医者から話が在り、点滴を抜くと2,3日。点滴をしても余命約1ヶ月だという。
 私は1月予約していたスキーをキャンセルした。

【義父の話④】2024/01/22

 点滴だけで生きながらえている割にしては、顔の色艶がいい。毎日面会に言っている妻と妹から聞く話も、意識は極めてハッキリしていて確り会話ができているという。
 確り食事さえできれば復帰できるのに・・と思う。
 入院している病院は所謂介護施設では無いので、現状の父を入院させて置くことはできないらしい。「現状これ以上、ここでできることは無い」
 ようするにココを出て、施設に移転してくれということだ。
 妻が調べたところによれば、其の手の施設は2週間に一度15分ほどの面会ができるだけだという。
 これは受け入れがたい。
 今の病院もそれは分かっているし、本来であれば転院を強要するところなのだが、それを強く言わないのは先の医療ミスの件が有るからだと思う。