【本年もテキトーに行きます】 ― 2024/01/02
あけましておめでとうございます。
先ずは昨年のアクティビティを振り返ると・・・
自転車:4046km 上昇:27466m
ラン:1975km スイム:18000m
年末、風邪など患ってしまいランが2,000㌔に届かなかった。
しかし全体的に自分への優しさが出てしまっているな。でも、まぁいいでしょ。
↓こちらは毎年恒例の栗きんとん。
今年は安穏芋と金時芋のハイブリッド
市販の金団は砂糖を多くして透明感を出すけど、これは芋1㌔に対してクリの甘露煮の汁と水:200cc+砂糖:100㌘
来年は芋を減らして少し透明感の有るやつに挑戦してみよう
年末調子を崩してから走れていないがお酒だけはマイペースで・・・
こちら↑は倅に戴いたMacaLLanこりゃぁ、美味いに決まってます。
こちら↓は正月用に始めて買ったNIKKA SESSION(3800Yen)普段飲んでいるやつよりかなりお高めですが、コレも超おすすめです
前回滑った時にスキーブーツの硬さに参った。
そもそも還暦過ぎのスキーヤーに150のブーツ売る店(カンダハー@町田)って、おかしいだろぅ。
買い替えを検討中・・・と言っても来年以降だろうけどね。
【久しぶりの江ノ島は・・・】 ― 2024/01/07
【雪が少なッ】 ― 2024/01/11
今年は雪が少い。
2月にはプライズテストが有ると云うのにコブが滑れない。
ホームの富士見にメールで、「コブは育ってますか?」と訊いたところ「暖冬小雪でコブが作れない」とのことです。
ウーン・・・取り敢えず今月末に一度滑ってそのまま荷物は富士見→湯沢に送り、湯沢でテストを受けたら湯沢→ネコマに送る。
2月にもう少し滑って3月は富士見でテストを受けてその後、菅平でマスターズ技術選とか、スキー部のアルペン合宿に出てみたいぞ。
夏の間に一所懸命スキーに向けて走り込んできたんだから、チャント雪には降ってもらわないと。
しかし最近つくづく思うのだが、年にチョボチョボ滑ったくらいで(いくら夏の間に走り込んでも)合格するほどプライズは甘くない。やっぱり引退してタップリ滑り込んで練習を重ねてからじゃないと無理かね。
スキーは技術、メンタル面のトレーニングはやっぱり雪の上で滑ることが必須だと思うぞ。
道具の見直しもしたいし・・・
【義父の話①】 ― 2024/01/22
ここしばらく自転車に乗れない日が続いていた。
11月の中頃に義父が脳出血で入院したことに起因している。
確か、土曜日だったと思う。19時になって夕食の支度ができたので義父に声を掛けたのだが返事がない。
階下に見にゆくと「気持ちが悪い」と言って洗面所で吐瀉している。合わせて寒気がすると云うので、夕食は摂らずに布団に入って寝かせるが、またもや気持ち悪いと言って吐瀉。
寒気が抜けないというので電気毛布を入れて寝かし少し落ち着いたようだが、「やっぱり病院行こう」という事で救急車。
妻が付き添って病院へ、CTだかMRIだかを撮ってすぐに手術。頭の右側にかなりの出血が診られるという。
家で待機して連絡を待つが、なかなか連絡が来ない。手術開始から5時間以上経って、無事に手術が終了したとのことだが、医者が間違って左側を開けてしまい、やり直したという。
【義父の話②】 ― 2024/01/22
後日、面会に行く。
「頭が痛い」と言って、座ってはいるがテーブルに突っ伏している。
意識はそれなりにはっきりしているが、どうやら目がよく見えないらしい。大好きなテレビも観ようとしない。
更に食事がマズイと言って殆ど食事を摂らない。
ちょう度そのころ友人から聞いた話だが、「兎に角話をすることが大事だ」ということだ。話をしなくなると喉の筋肉を使わなくなり、やがて食事ができなくなると云う。
義父も話をすることが徐々に減り、それに伴って、遂には食事をしなくなってしまった。
そうなると、当然点滴で養分を補うことになる。更に悪いことに、そのタイミングでコロナに感染してしまった。
【義父の話③】 ― 2024/01/22
それでも皆、父は復帰して今までのように一緒に生活できると信じて疑わなかった。
妻は妹と交代で毎日病院に行って父と接するように努めた。
しかしコロナになると暫くはそれも叶わない。義父はワクチンを一度も摂取していなかったが、コロナから立ち直った。それでも2週間の隔離は少し父を変えてしまったのかもしれない。
どうも、言うことが少しおかしい。孫(私の息子)は法律家だと思っていたり、妻のことを看護婦と思っていたりする。
そうかと思えば、極めて正確に状況を説明する。
この頃になると完全に点滴だけで生きながらえてる状態だった。
そんなタイミングで医者から話が在り、点滴を抜くと2,3日。点滴をしても余命約1ヶ月だという。
私は1月予約していたスキーをキャンセルした。
【義父の話④】 ― 2024/01/22
点滴だけで生きながらえている割にしては、顔の色艶がいい。毎日面会に言っている妻と妹から聞く話も、意識は極めてハッキリしていて確り会話ができているという。
確り食事さえできれば復帰できるのに・・と思う。
入院している病院は所謂介護施設では無いので、現状の父を入院させて置くことはできないらしい。「現状これ以上、ここでできることは無い」
ようするにココを出て、施設に移転してくれということだ。
妻が調べたところによれば、其の手の施設は2週間に一度15分ほどの面会ができるだけだという。
これは受け入れがたい。
今の病院もそれは分かっているし、本来であれば転院を強要するところなのだが、それを強く言わないのは先の医療ミスの件が有るからだと思う。
【義父の話⑤】 ― 2024/01/23
義父の容態もそれなりに安定しているとのことなので安心していた。
私も久しぶりに病院に義父の顔を観に行ってきた。横になっては居るものの、なるほど意識は確りしている。
翌日、妻が病院に行ったところどうも具合がよろしくない。熱が有るらしい。
それまで割と安定していたこともあり、病院側も気づかなかったのかも知れない。妻が「熱が有ると思う」というと看護婦さんが熱を測ってくれたのだが、「熱高いです」だけで何度だったか言わない。
その日は解熱剤を投与してくれたという。 妻もそのままいつもどおり夕方に帰宅。
ところが、夜になって病院から電話。
「すぐに来て欲しい」とのこと。妻は妹にも電話をして22時過ぎに車で病院へ。
血圧が40まで下がってしまったらしいが、昇圧剤で、140ぐらいに持ち直した。
酸素吸入はしているので、酸素濃度は100と安定しているが、脈拍も早く熱は依然として高い。
色々調整してくれて、血圧は105-65と安定したように見えるが薬で調整しているのだろう。
義父は目を開けて、何か言いたそうにしているが言葉にはならない。
一応、安定した様を確認し、妻と妹を病院に残して帰宅
【義父の話⑥】 ― 2024/01/23
朝になって妻から連絡。血圧は低いけど割と安定しているとのこと。と言っても、数字上の話でいぜんとして酸素マスクを付けて点滴を続けている。話もできない状態まま。
私は家で仕事。
12時少し前に妻から連絡
「だめだった」
【義父の話⑦】 ― 2024/01/23
原因は誤嚥性肺炎
食事ができないままに体力がなくなり、消化器官から腸で養分が吸収できずに逆流。その中に含まれていた菌が身体に回って発熱からの肺炎みたいな説明を医者から受ける。
急に寒くなったタイミングと重なり葬儀が混み合っているとのこと。暫くはドライアイスを入れた状態で霊安室におかせて貰う。
葬儀は故人の希望で身内だけで行う。
墓地は家から車で20分ほどのところにあり、10年以上前に70歳で他界した義母が眠っている。
霊安室はその墓地のすぐ隣なので、霊安室に行ったついでに母のお墓参り。
なぜか、義母が微笑んでいる絵ばかりが浮かぶ。
「お父さん、遅かったじゃない!」とか、言って喜んでいる様子しか想像できない。
あわせて、義父もニヤニヤしている絵が浮かぶ。
最近のコメント